2020/11/30 2020年11月のメモ
新型コロナウイルスは第3波の様相だ。健康も守る、経済も回す。両方やらなくっちゃあいけないのが政治の難しいところである。


■Project ZomboidのIWBUMS Beta: 41.47を遊んでいる。最近は焚き火を武器として使いこなせるようになってきた。駐車場などの広く死角が少ない場所でゾンビの集団を束ねるように動くと、1回の焚き火で数十体のゾンビを始末できる。ただしこの方法だとアイテムがほとんど得られないので、手持ち物資との相談が必要だ。


■Android用オフライン音楽プレーヤーのMusicoletを使い始めた。デフォルトで入っていた音楽プレーヤーも使い勝手は悪くなかったのだけど、時々プレイリストが初期化されてしまう問題があった。シチュエーション別に幾つかのプレイリストを使い分けるタイプなので、まだまだこの手のアプリは必要だ。


■ヴァイオレット・エヴァーガーデンTVシリーズの感想を書ききれて満足。今は原作の下巻を読んでいる。


■アニメ「ドロヘドロ」が面白かった。サイケでスラムでファンタジーで明るいスプラッターバイオレンス。書いててなんじゃそりゃってなるけど本当にそうなんだから仕方がない、不思議な魅力を持った作品だ。アニメ版はストーリーの途中までで、原作は少し前に完結したらしい。機会があれば原作を一気読みしたい。





 


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2020/11/14 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」TVシリーズ感想

劇場版の感想に続いて、TVシリーズ、EX、外伝についても書こう。

全体を総括したり、好きなエピソードをピックアップするのもいいけれど、この作品は「積み重ねの物語」だ。というわけで、長くなるのを承知で1話から順番に書いていくことにする。



劇場版までのネタバレを含みます。



■第1話 「愛してる」と自動手記人形

1話といえば、病院を後にしたヴァイオレットがホッジンズから受け取る退院祝い。ここで選ばれた子犬のぬいぐるみが、全編に渡ってとても良い仕事をしていた。ギルベルトの犬であり、狂犬とも呼べる存在だったヴァイオレット。この子犬は彼女の分身だ。最初は床に打ち捨てられていた子犬が、ヴァイオレットの成長や物語の進行に合わせて場所や向きを変えていく。自身と向き合い、世界と向き合う。そして劇場版のラストでは、鞄の上で二人の指切りを見守っていた。



■第2話 「戻って来ない」

時代や世界が異なっても不変で普遍な「人の心の弱さ、難しさ」を語るカトレアが印象的な回だ。自分も、本職という程ではないが誰かの代わりに言葉を綴る機会が多いので、「自動手記人形」に感情移入していた。油断すると報告書めいた事務的な文章になりがちな点を、仕事を始めたばかりのヴァイオレットに重ねながら。

1話の項で書いた子犬のぬいぐるみは、まだ床に倒れているもののヴァイオレットの座るテーブルのそばに移動していて、ブローチが戻った後は共にベッドへ。拠り所を見つけたのだ。



■第3話 「あなたが、良き自動手記人形になりますように」

3話にして初めて流れるオープニング。その歌詞はヴァイオレットの心の内そのもので、花や人物が過去を見つめるかのように左向きで配置されている。

サウンドトラックを買った後、どの曲がどんな場面で使われているか確認したくなり、あえて映像を見ずに鑑賞していて気付いたことがある。「速度の指定がありません」の場面で
「Across the Violet Sky」が流れていたのだ。7話の湖を渡る場面でも使われたこの曲は、ヴァイオレットがその身体能力や記憶力、飲み込みの早さなど才能を発揮する際のテーマでもあるのかもしれない。

ローダンセ教官は良き指導者だ。厳しさの中にも柔軟さを持った彼女の「良きドールとは、人が話している言葉の中から、伝えたい本当の心をすくい上げるもの」という言葉は、ヴァイオレットの指針となった。EXでも重要な役割を担う教官だが、それは後述する。

ルクリアがヴァイオレットに「大好きな眺め」を紹介する場面もとてもいい。かつて兄に手を引かれて登った塔を、今度は自身がクラスメートを励まそうと登るルクリア。そしてその景色はギルベルトがヴァイオレットに「いつか、きっと」見せたかったものだ。人が人を思いやる気持ちは、螺旋状の塔の階段とよく似ている。

スペンサーが手紙を受け取る場面の描き方も好きだ。塔の下の、さらに階段の下、つまりはどん底に横たわる彼のもとに、光と手紙を携え現れるヴァイオレット。「任務……いえ、課題です。……いえ、手紙です」と言葉を選ぶのがとてもいい。



■第4話 「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」

故郷(田舎)と都会、仕事と結婚、親との軋轢、恋と失恋など、アイリスに共感する要素が非常に多い回だった。この作品は、積み重ねの物語であると同時に共感の物語だ。自分は戦地に赴いたことはないし、子供を病気で失った経験もないが、2話で描かれた社会で働くことの世知辛さや、父との確執、長男の気持ちなどには共感できる。様々な登場人物たちの共感できる部分が積み重なっていって、大きな感動が生まれたのだと思う。

母親の前から逃げ出す娘という構図は10話にもあるが、片や屋敷を飛び出すアン、片や自室に閉じこもるアイリス、という対比が面白い。子供のアンは“何も”知らない。大人のアイリスは、田舎に隠れる場所なんてないと知っていたのかもしれない。

スミレ全般の花言葉は「謙虚」「誠実」「小さな幸せ」、紫のスミレの花言葉は「貞節」「愛」だそうだ。その名が似合う人になりなさいと名付けたギルベルトの優しさが伺える。また、西洋におけるPurple Violetの花言葉は「You occupy my thoughts(あなたのことで頭がいっぱい)」だそうで、これもまさにヴァイオレットなのが面白い。

カザリへ向かう電車での「事実は受け取り方で是にも非にもなる」会話や、根拠が判然としないながらもカザリの夜景を「大したもてなし」と感じるヴァイオレットや、「手紙だと、伝えられるのです。素直に言えない心の内も、伝えられるのです」という言葉も印象深い回だった。



■Extra Episode 「きっと"愛"を知る日が来るのだろう」

4話から5話までの数ヶ月の間にあった出来事を描いたこのEXでは、書物(=文章のお手本)から学ぼうとするヴァイオレットの姿勢が伺える。珍しく依頼に対する愚痴をこぼしたり、行き詰まって部屋の隅で落ち込む姿も新鮮だった。あの時はどんな気持ちだったのだろう。「文字を見たくない程に疲れたので視界を壁で覆ってしまおう」とか考えていたのだろうか。

ローダンセ教官再び。イルマの依頼に対してヴァイオレットを推薦したのは、難しい課題を乗り越え成長しなさいという心があったと思う。学校が終わり、教官と生徒という関係ではなくなっても尚教え子のことを考えている彼女が、新作オペラの終劇の際に浮かべていた表情は「よく頑張りましたね」と語りかけるかのようだった。

ローランドとヴァイオレットが訪れた、軍の郵便倉庫。劇場版ではギルベルトの筆跡を見つけたこの場所で、「ゆく先も送り主も失った手紙たち」から「手紙に真摯に向き合っている者」への道しるべが示される展開は、胸が熱くなる。

この回を堺に、ヴァイオレットの自室の子犬のぬいぐるみはテーブルの上に室内を向いて置かれるようになった。それくらい大きな心境の変化があったのだ。



■第5話 「人を結ぶ手紙を書くのか?」

初めて泣かされた回である。

「The Birth of a Legend」に乗せて、シャルロッテが自らの手でダミアンへの想いを書く場面が大好きだ。音楽の盛り上がりと、シャルロッテの感情の昂りがシンクロしていくのが素晴らしい。「それでいいんです。それがいいんです」という言葉もとてもいい。

アルベルタが、姫、姫さま、シャルロッテ様、シャルロッテ姫、と呼び方を細かく変えている点にも注目したい。宮廷女官としての立場と、育ての親としての心がよく見える。

花嫁衣装に着替えたシャルロッテとアルベルタが話す場面は、何度観返しても涙腺が緩む。白椿の髪飾りをつける時のアルベルタの表情が素晴らしい。そしてその後、立ち上がりアルベルタの手を取るシャルロッテ。この場面の手の描き方がアルベルタの内面をつぶさに表していて、とてもいい。手は口ほどにものを言う。
アルベルタは、きっと「涙を浮かべはすまい」と自分に言い聞かせてこの日に臨んだと思う。そんなアルベルタの予想を超える形で感謝と愛情を示すシャルロッテ。本当に美しい門出だった。

だらしない姿でいても根っこがお姫様なシャルロッテが先に登場したことで、外伝のイザベラが引き立つ。そんな役割も持っていた回だと思う。



■第6話 「どこかの星空の下で」

ヴァイオレットが見せるようになった微笑みと、物悲しそうな表情。この頃になると、聡明な彼女のことだからホッジンズの言葉は覚えているだろうと心配しながら観ていた。

冒頭のTormentを最初に聞いた時は「状況の割に音楽の緊張感が強いような」と感じたものだが、「外界から隔離された男だらけ職場にたくさんの女の子たちが! しかも各々ペアを組んでの活動だ!」となればそりゃあ一大事だ。緊張感も高まる(笑) パンをねじ切りながらデートに誘う場面といい、コミカルな要素も強いこの回だが、噛めば噛むほどに味が出てきている。
愛してるを知りたいと言った少女が「寂しい」を知った夜は、少年の初恋が破れた夜となり、しかし新たな目標へと踏み出す夜明けへと繋がった。ここにも「いつか、きっと」がある。リオンから受け取ったその言葉を、ヴァイオレットはすぐに忘れたりはしないだろう。

ふと思ったのは、作中において幾つの「いつか、きっと」が登場したのだろうか。機会があれば、そこに注目してもう一周したい。



■第7話 「         」

泣かされた回である(5話以来2度目)

6話の項で書いた心配をカトレアが代弁してくれて、つくづくいい先輩だな……と感じたり、ヴァイオレットも小言を言えるまでになったか……としみじみした後、涙に無言で頷き、風の精霊と傘の着想のあたりでアッヤバイとなり、その後はオスカーと同じ表情をしていたと思う。

作家であるオスカーの言葉によって丁寧に語られる「他者への共感」は、ヴァイオレットに向けたものであると同時に、彼女を見る我々にも向いている。オリーブの冒険の続きが気になるヴァイオレットと、ヴァイオレットの物語の続きが気になる自分が、重なる。



■第8話

TVシリーズを最初に観た時はTwitterで感想を書きながら進めていたのだけど、この辺りからログがほとんど無い。それくらい没頭していた。かろうじて、
「9話で終わ……らない……? からの10話ずるいよ。泣いたよ。映画観に行くよ。」
とだけ書き残されている(笑)

ギルベルトがヴァイオレットに文字を教えるために与えた絵本、これの表紙をよく見ると、10話でアンに読み聞かせた絵本とたぶん同じものだ。

エメラルドのブローチを買う少し前、ギルベルトが「いつもよく戦って―――」と言い淀む場面が印象深い。ヴァイオレットの戦果に感謝するということは、道具としての彼女を評価するということであり、強い自責の念に駆られたことだろう。

戦闘シーンについてはかなり割り切った描き方をしているが、そこが主題ではないので気にせず、登場人物の感情を注視していた。



■第9話 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

この回が最終回でないのが、とてもいい。

悪夢から目覚めた直後のヴァイオレットの行動が、痛々しくも、複雑で繊細で、非常に見応えのあるものとなっている。テーブルの上に積み上げられた書物とランプを乱暴に払いのけ、子犬を床に叩きつけようとするが、できない。自らの首に手をかけるが、それも止める。
ランプの砕けたガラスと零れ出たオイルは彼女の心と涙だ。書物は新しい人生での積み重ねだ。そして子犬は彼女自身だ。
最初に生じたのは「自身への怒り」だったと思う。5話のラストのディートフリートのそれに近い。武器として他人の「いつか、きっと」を奪ってきた身で手紙を書くのか? 自動手記人形の仕事を通じて充足を得るのか? 他人に共感して涙を流すのか?
その後、絶望が襲ってきたと思う。6話で「それ(ギルベルト)がなくなるくらいなら、私が死んだほうがいいのです」と言い切った彼女だが、死ねなかったのではなく、死ななかったのだと思う。罪を償わないままの自死を許せなかったのかもしれないし、自身が死ぬことで会社や周りの人々に迷惑がかかると無意識の内に分析してしまったのかもしれない。
もう、どうしたらいいのかわからない。そんな彼女が最後にすがるのが「少佐の命令」だったのだろう。
受け手次第で如何ようにも捉えられる作りになっているこの場面について、色々な人の意見を聞いてみたい。

ローランドが持ってきた手紙は、かつてヴァイオレットがスペンサーに持っていった手紙とよく似ている。自身を責め、身近な人の言葉も届かない者のところに、届いた手紙。
初心に帰った配達業務は、しかし手紙には送る人の思いが込められていることを知ったヴァイオレットには、当時とは違って受け止められたはずだ。全ての手紙が届いたことを喜ぶローランドの姿も、エリカとアイリスからの手紙を開封する後押しとなった。この一連の場面だけでも大好きだが、劇場版でヴァイオレットの手紙がギルベルトに届く場面のことも思い出して、胸が熱くなる。

手紙を読み終えた後、少し引いたカメラでヴァイオレットの背中と部屋が映る。床に置かれた子犬のぬいぐるみが、ヴァイオレットの背中を見守っているようにも見えて好きなカットだ。

ラストの、ホッジンズの言葉に乗せてこれまでの依頼主たちの現在が描かれるシーンでは、リオンとオスカーの順序を逆にして、右(未来)を見るオスカー、左(父の過去)と向き合うリオンという構図になっていたのが印象的だった。



■第10話 「愛する人は ずっと見守っている」

未だに冷静に観られない回だ。どうしても泣いてしまう。アンにも、アンの母親にも、その間に立つヴァイオレットにも、深い共感を覚える。

劇場版の冒頭10分からこの作品に触れたので、既視感が確信に変わった瞬間は鳥肌が立った。この家を、この家具を、このサンルームを知っていた。そこに諸星すみれさんと川澄綾子さんの素晴らしい演技も加わり、これ以上ない体験をさせてもらった。
劇場版のデイジーの声を諸星すみれさんが演じているのも、なんというか、ズルイ。



■第11話 「もう、誰も死なせたくない」

戦場で傷つき、命が尽きかかっている者の、別れ際の「愛してる」は、ヴァイオレットにとって他人事とは思えなかっただろう。しかも、その死の知らせを自身が届けなければいけない。あと少し早く到着できていたら、負傷する前に見つけていれば。守れなかったことを悔やむ彼女の「ごめんなさい」は、ただただ悲しい。



■第12話

11話の「ごめんなさい」や不殺の誓い、ギルベルトの兄であるディートフリートとの共闘といった要素は、TVシリーズの後に劇場版が存在するというある種のネタバレを知っていた自分であってもハラハラした。自己犠牲による解決だけはしてくれるな……!と願いながら見守っていた。



■第13話 自動手記人形と「愛してる」

ライデンのブーゲンビリア家の屋敷を訪れる場面が素晴らしい。初めて会う二人が、エメラルドのブローチに対して同じ言葉を紡ぎ、共感する。そんな相手からの赦し、そしてギルベルトへの変わらぬ想い。ブーゲンビリア夫人のあり方はヴァイオレットを救った。
そして屋敷を去る直前、初めてヴァイオレットを名前で呼ぶディートフリート。この場面も大好きだ。変化の兆しを見せるディートフリートと、変わったヴァイオレット。最後の一礼は、雲一つない背景の青空のように清々しいものだった。

気合と必中をかけたかのようなベネディクトの蹴りは割り切る部分だと思っている。ところでディートフリートもやたら強い。射撃よし、格闘よし、さらに彼は劇場版でもヴァイオレットの習性による不意打ちに対しても踏みとどまっている(4年のブランクの影響もあるかもしれないが)

ヴァイオレットが書いた初めての自分の手紙は、ギルベルトがいない寂しさを季節で表現する美麗さから始まり、ディートフリートから贈られた言葉を噛みしめるように「生きて」を重ね、「愛してるも、少しはわかるのです」と、その名にふさわしい謙虚さをもって結ばれていた。いい、手紙だった。



■外伝 - 永遠と自動手記人形 -

冒頭に子犬のぬいぐるみが登場する。TVシリーズ終了時点ではテーブルの上で室内を向いていた彼女(彼?)は、ヴァイオレットの部屋から外の世界を見ている。直後にはヴァイオレットと並ぶ形で右向きに映すカットもあり、「これから」を感じさせる構図だ。
イザベラ編の中盤、ホッジンズが夜のCH社でヴァイオレットを心配する場面の直後では室内を向いていることからも、約3年の歳月の最中に様々な出来事があったのだろうと想像が膨らむ。

3話でルクリアに「軍人さんみたい」と評されたヴァイオレットが、生徒たちから「騎士様みたい」と囁かれるのが面白い。外界から隔離された男子禁制の女学院に流れる空気は、どこか前時代的な、独特の時間の流れを保っているのかもしれない。

奇遇にも、イザベラと自分に共通している点がある。「気管支が弱い」ことだ。今でこそ良くなったが、小さい頃は彼女のように咳き込み、母に背中をさすってもらっていた。ああしてもらうと、気持ちも体も楽になるのだ。
夜通しの看病。“完璧”な者からこぼれるあくび。翌朝の場面では、イザベラの視線の動き方や髪をかき上げる仕草から、気持ちのほぐれと気恥ずかしさが伝わってくる。

イザベラの、ヴァイオレットが孤児であることを知り距離が少し縮まる様子や、「今だけ」約束事をないことにして話をする様子は、リオンやシャルロッテを彷彿とさせる。そして、この外伝では、愛している故の別れを描いている。最初に劇場版を観た時の、中盤くらいでの自分の落ち着かなさの理由は、これだったのだ。

テイラーがヴァイオレットを頼ってCH社を訪れる場面では、3話の項で書いた思いやりの螺旋のイメージが浮かんできた。かつてギルベルトからヴァイオレットを託されたホッジンズが、経緯と動機は違えど「友人の大切な人の願い」を叶えようとするヴァイオレットに向ける眼差しからは、暖かな父性を感じる。

ヴァイオレットとテイラーは実に対照的だ。感情表現や人情の機微を捉えることを苦手としつつも任務遂行能力は抜群だったヴァイオレット。感情豊かに振る舞うが字を覚えるのが苦手で体力的にも配達を十分にこなせないテイラー。ギルベルトのことを鮮明に覚えているヴァイオレットと、エイミーのことをほとんど忘れてしまったテイラー。
ベネディクトとテイラーも別の意味で対照的だ。時代は進んでも毎日同じことの繰り返しで「つまんねえ仕事だ」と独り言つベネディクト。“幸せを届ける”仕事を一日に数え切れない程こなす彼を尊敬し、師匠と呼ぶテイラー。照れ隠しで思わず口元に手が動いてしまうベネディクトがかわいかった。
テイラーに用意された部屋の間取りが、ヴァイオレットの部屋とほぼ線対称なのもいい暗示になっている。

ヴァイオレットがテイラーに字を教えると申し出る場面が、とてもいい。少し前の彼女だったら、テイラーの近くへ歩み寄る、もしかしたらしゃがんで目線を合わせるまではしたかもしれないが、手をつなぎはしなかったのではないだろうか。でも、今は手をつなぐと心が温かくなることを知っている。それはイザベラから教わったことだ。その直後、テイラーに抱きしめられたヴァイオレットがあえて両手で抱きしめ返さなかったのは、義手では受け止められない体温を感じていたかったのかなあ、とも考えている。

「お外見てるの?」は作中の登場人物が(ホッジンズを除いて)初めて子犬のぬいぐるみに言及した言葉だ。それと、これは今思いついて後で確認しようと思うのだけど、ヴァイオレットの部屋に入ったのもテイラーが初めてかもしれない。

新市街へ向かう橋で出会うルクリアは、テイラーと話す時しゃがんで目線を合わせる。こういうところが彼女の魅力だ。

お昼休みに代筆業務室で、本を見ながら文字の練習をするテイラー。この場面だけでは判断できないものの、もしかしたら最後に泥棒が逃げていくあの絵本かもしれない。そうだったらいいなあ。この世界の文字を解読して、テイラーが書いている文字の内容がわかれば大きなヒントになったりして。

ヴァイオレットに手伝ってもらい、テイラーが手紙を書く場面。ここでは子犬のぬいぐるみの横にクマのぬいぐるみが置かれている。暗闇の中から行方のわからないエイミーを見つけようと、寄り添っている。

ベネディクトがエイミーに手紙を渡す場面では、“イザベラ“からとっさに出た一人称が「わたくし」だったのが、事情を知った後は「僕」に変わったのがとてもいい。彼女も嫁いだ後は、ヴァイオレットとの手紙が途切れる程にやるせない日々を送っていたのだと思う。テイラーという太陽のような少女が、曇り空だったベネディクトとイザベラの心に光を射したのだ。

「なあ、本当に会わなくてよかったのか」
『うん』
『ちゃんと一人前の郵便配達人になったら、そしたら、その時にちゃんと自分で渡すんだ!』

テイラー・バートレットの「いつか、きっと」が叶うことを、心から願う。





 


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